03-01500 穴師大明神

穴師あなし大明神


穴師神社あなしのかみのやしろ

吾孫子莊あびこのしやう宮村みやむらにあり延喜式には泉穴師神社と書す穴師は戌亥の風也
又大和國に穴師兵主神社あり故に泉穴師と云

祭神さいしん

天忍穗耳尊あまのをしほみのみこと 栲幡たくはた千千姫命ひめのみことの二座なり
右に天照太神 住𠮷太神を祭る
例祭八月十五日我孫子あびこ七村の氏神なり

末社まつしや

多賀 熊野 楠本社 大歳神 蛭子 大黒天
本社の前に石燈籠いしのとうろあり古代竒雅きがにして名噐也文字見へす
そり橋は本社南壱町にあり
都て林中森然しんぜんとして心清こゝろすみわたりて閑静かんせいの社領也

藥師寺やくしじ

穴師社の壱町許南にあり當社の神宮寺也今御旅社とす本尊藥師佛を安す
光仁帝寳亀年中に異國ゐこくより海中に漂ひ來る浦人これを見て大津の浦へ引上穴師社のかたはらに草堂を建てこれを安置す
其後又柱梁うつはりを海中より得て金堂を建立す此ゆへにうつはり蠣殻かきから今に付たり
されより代々の天子尊敬そんけうしたまひと勅願寺と成
年久しく荒廢くはうはいして今わずかに一堂のみ也

今に見る泉穴師神社


泉穴師神社 鳥居
 

鳥居 扁額
 

拝殿
 

本殿
 

反橋
 

境内 由緒書

泉穴師神社 ご由緒

 

御祭神

  天忍穂耳尊あめのおしわみみのみこと
  栲幡千々姫命たくはたちちひめのみこと

御鎮座

  天武天皇白鳳元年(約1350年前)
  大阪府泉大津市豊中町一丁目一番一号

御祭礼

  4月5日    春季大祭
  体育の日前日 秋季大祭
  1月1日    歳且祭
  1月10日   戎祭
  6月30日   大祓式
  7月15日   夏宮祭
  11月1日   栲幡祭
  12月15日   冬宮祭

御由緒

 泉穴師神社は、式内社で和泉五社のひとつ、泉州二ノ宮であります。
 穴師の里、千古の神境に神殿奥深く鎮ります。主祭神は、農業の神であらせらる 天忍穂耳尊(あめの・おし・ほ・みみの・みこと)紡織の神であらせらる 栲幡千々姫命(たく・はた・ち・ち・ひめの・みこと)天忍穂耳尊は天照大御神の御子神で皇室の御祖神の系列にあらせられ、栲幡千々姫命は御名の通り、栲は古い昔衣装の原料となる麻・絹・綿等一切の繊維類の総称であり、幡は「繒」「服」の字に相当し、布帛の総称で、繒具「はたもの」は、織機の意味で衣服の紡繊に種々工夫改良を加えられた姫神様であらせられ、泉州の地が今日農耕並に紡繊を似って繁栄して居りますのも洵に御神徳のいたすところであります。
 衣食の安定は政治の中心でありますので、往古より歴代の天皇の当社に対する御崇敬は、文献に数々残されて居りまして枚拳にいとまありません。又、古来より、幼児虫封じに霊験あらたかと云はれ、参拝者多数ございます。
 考謙天皇(天平勝宝年中)村上天皇(天暦中)崇徳天皇(大冶中)の御宇鎮疫祈願御叡感の綸旨を賜はって居りますし、正倉院文書によりますと聖武天皇が和泉国五社大明神に社領御下賜の際、当社には大鳥神社と共に千三百石を下賜されました。武家の方に一班をあげますと、天正三年十月二十日将軍織田信長公より社領安堵の御朱印状を給はって居ります。

文に
当国五社大明神領事如近年有来可有社納之次山林竹木等
一切不可伐採候也仍状如件
天正三年十月二十日
信長朱印
泉州五社へ

【出典:泉穴師神社ホームページ

 

泉穴師神社

 
 泉穴師神社(いずみあなしじんじゃ)は、大阪府泉大津市にある神社。式内社、和泉国二宮で、旧社格は府社。「泉穴師神社の森」は「大阪みどりの百選」に選ばれている。

祭神

 1879年(明治12年)に作成された『神社明細帳』では天富貴神と佐古麻槌大神を当社の祭神としているが、1894年(明治27年)の『神社明細帳』では天忍穂耳尊と栲幡千千姫命を祭神としており、当社も天忍穂耳尊と栲幡千千姫命を祭神とする見解をとっている。なお、泉大津市は江戸時代に繊維産業が興り、現在に至るまで繊維産業が盛んな地であるが、栲幡千千姫命は織物に関係する神として知られている。
 ■主祭神 – 天忍穂耳尊、栲幡千千姫命

歴史

 社伝によると、当社は白鳳元年(672年)に創建されたとするが、神功皇后の時代に創建されたとも神武東征の際に始まるともいわれ定かではない。天平10年(738年)の和泉監正税帳(『正倉院文書』)によると、聖武天皇から大鳥大社と共に1,300石の社領を賜ったという。『日本三代実録』によると貞観7年(865年)に正五位下を授けられたとし、『類聚国史』によると貞観10年(868年)に従四位下を授けられたとする。元弘元年(1331年)には、楠木正成が当社に石燈籠を奉納している。
 天正3年(1575年)には織田信長より社領安堵の朱印状を与えられた。慶長7年(1602年)には豊臣秀頼が片桐且元を奉行として社殿を再建している。
 1873年(明治6年)に郷社に列格し、1894年(明治27年)には府社に昇格した。1946年(昭和21年)、それまで毎年2月4日に行っていた春季大祭を4月5日に行うこととし現在に至る。

境内

本殿(重要文化財) – 慶長7年(1602年)に片桐且元を奉行として豊臣秀頼が再建。
灯籠 – 元弘元年(1331年)に楠木正成が奉納したもの。
拝殿(泉大津市指定有形文化財) – 慶長年間(1596年 – 1615年)に片桐且元を奉行として豊臣秀頼が再建。拝殿の前には鳥居(泉大津市指定有形文化財)が2基並んでいるが、これは本殿に祀られている夫婦2柱の神に対して1基ずつ備えられたものである。
社務所
遥拝所
御神木のクスノキ – 泉大津市保護樹木。

摂末社

住吉社(重要文化財) – 文永10年(1273年)建立。大阪府内最古の本殿建築である。
穴師天満宮(合祀殿、泉大津ふるさと文化遺産) – 1908年(明治41年)に板原村の菅原神社本殿を移築したもの。
春日社(重要文化財) – 慶長7年(1602年)に片桐且元を奉行として豊臣秀頼が再建。
大国主社 – 祭神:大国主命、事代主命、市杵島姫命
楠木社 – 祭神:楠木正成
兵主社 – 祭神:八千鉾神

祭事

歳旦祭(1月1日)
戎祭(1月10日)
厄除祈願祭(2月3日)
春季大祭(4月5日)
夏越大祓(6月30日)
夏宮祭(7月15日)
秋季大祭(体育の日の前日)
栲幡祭(11月1日)
冬宮祭(12月15日)

文化財

重要文化財(国指定)
泉穴師神社本殿(附 棟札5枚)(建造物) – 江戸時代、慶長7年(1602年)の造営。1949年(昭和24年)2月18日指定。
泉穴師神社摂社春日神社本殿(附 棟札1枚)(建造物) – 江戸時代、慶長7年(1602年)頃の造営。1949年(昭和24年)2月18日指定。
泉穴師神社摂社住吉神社本殿(附 棟札2枚)(建造物) – 鎌倉時代、文永10年(1273年)の造営。1949年(昭和24年)2月18日指定。
木造神像 80躯(彫刻) – 1899年(明治32年)8月1日に神像4件8躯[4]を指定。2016年(平成28年)8月17日付けで、前述の4件の重要文化財を1件に統合し、これに未指定の神像72躯を追加指定して、改めて「木造神像80躯」の名称で重要文化財に指定。
大阪府指定文化財
・有形文化財
  泉穴師神社 木造男女神像群 3躯(彫刻) – 平安時代の作。1970年(昭和45年)2月20日指定。
  泉穴師神社 太鼓(工芸品) – 1970年(昭和45年)2月20日指定。
泉大津市指定文化財
・有形文化財
  泉穴師神社拝殿(附 石鳥居2基)(建造物) – 慶長年間(1596年 – 1615年)の建立。2000年(平成12年)3月23日指定。
・天然記念物
  泉穴師神社のクスノキ大木群 12本 – 1999年(平成11年)3月23日指定。
泉大津ふるさと文化遺産
・有形文化財
  泉穴師神社合祀殿(建造物) – 2013年(平成25年)1月23日認定。

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